〔(令和元年)3回忌のお墓参り( by ちょく )〕 2019.6.5(水)  ● Picbox ● picbox[Google] ● クラス会写真へ ● みんなのホームページへ

#ajisai  新元号「令和」のご報告を兼ねて、二見先生の3回忌のお墓参りをしました。国道1号線沿いの「味さい」さんで昼食会をしました。
 参加者(五十音順・敬称略/13名):今須・大久保・笠原・門永・熊谷・後藤・鈴木・新垣・馬場・前田・松下・村上・諸岡
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【 解説 】   ※ 画像クリック拡大表示
ガラスのうさぎ 〕 太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日、ここ(国鉄)二宮駅周辺に艦載機 P.51 の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。この時、目の前で父を失った12歳の少女がその悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」は、国民の心に深い感動を呼び起こし戦争の悲惨さを強く印象づけました。この像は私たち二宮町民が、平和の尊さを後世に伝えるため
に、また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くの方のご協力をいただき建てたものです。少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。  ここに平和と友情よ永遠に    昭和56年8月5日「ガラスのうさぎ」像を二宮駅に建てる会

クスノキ 〕 このクスノキは、樹齢108年の大クスノキが腐朽したため新たに植栽された2代目シンボルツリーです。ガラスのうさぎ像とともに、クスノキも平和を見守っています。二宮町
 樹木名:クスノキ(クスノキ科クスノキ属)・常緑高木 / 樹齢:26年(2014年3月時点)
 学名:Cinnamomum camphora(シナモマム・カムフォラ)/ 別名:クス / 植栽日:2014年3月10日

伊達時 彰徳碑 〕 この碑は、明治維新以降に郷土二宮の発展と社会福祉の増進に尽力された、伊達時氏の功績を後世に伝えるため二宮駅開発五十年を記念し、昭和26年(1951)町民有志により建てられたものです。伊達時氏は、医師として、中郡、神奈川県の医療の発展・充実に努めると共に、衆議院議員としても、憲政の発展と地方自治の振興のために活動し、二宮駅の開設や、二宮駅を中心とした交通網の整備、教育の振興を図るなど、多方面にわたる公共事業に尽力されました。
 石碑には、次のような碑文が刻まれています。
「伊達時君は予君の嫡男嘉永2年当地に生る資性頗敏医を侍医伊藤方成、緒方惟準に学び 父祖の業を継ぎて令名あり 又儒を安井息軒に 書を永原俊章に学び 出藍の誉あり 夙(つと)に心を厚生済民に潜め板垣退助 陸奥宗光等 維新の志士と交り 就中(なかんづく)伊藤博文公の知遇を亨(う)く。明治33年二宮駅創設の議起るや率先奮起万難を排して土地の有志田中喜太郎、西山京次郎、松木友三郎等と相謀り当駅開設を促進実現せしむ、その他広く社会公共福祉の為 奉仕尽瘁(じんすい)す 遠近その徳を仰ぎ明治36年衆議院議員に推挙当選 更に驥足(きそく)を中原に馳せて国事に貢献する所大なりしが惜しむべし 大正5年病を以て卒す行年六十有八嗚呼湘南僻海の一小寒村忽ち変じて町制を布き今日の隆盛を致せし所以一に君が献身の遺徳に基づかざるはなし、今茲に(ここに)二宮駅五十年記念式典挙行を期し町民相謀り君が勲績を不朽に伝え併せて後進誘掖(ゆうえき)の資となさんと云爾(うんじ/これにほかならない)」  平成17年12月 二宮町教育委員会