〔 吾妻山探訪( 二宮町 2019.3.9 )〕 ● PhotoGallery2[jQueryScript.net] ● 管理人のページへもどる
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#1-1吾妻神社 由緒記
 吾妻神社は梅沢の氏神でその創建は第十二代景行(けいこう)天皇の朝に始まると云う。弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)を祭神とし日本武尊を配祀する。日本武尊は景行天皇の第三皇子であり、天皇にそむく部族を征伐するため東北におもむく途中、三浦半島走水から海路上総に渡るとき暴風突如に起こり、命は夫にかわり海神の怒りを鎮めるため夫の武運を祈り、別れに臨んで往時を回想され
 「サネサシ相武ノ小野ニ燃ユル火ノ ホナカニ立チテ問ヒシ君ハモ」と
海中に身を投じた。するとたちまち海は穏やかになったと云う。その七日後に命の御櫛が海辺に流れつき埋めて御陵を造り、この地を埋沢といい神社前下一帯を梅沢という。この海岸に命の小袖が磯辺に漂いこれを山頂に祭ったことから、袖ヶ浦海岸と呼んでいる。また日本武尊は東北戦が終わり帰路相模の国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ、「ああ吾が妻」と嘆かれたと云う。弟橘媛命の御神像は木彫りの千手観音で、既に千数百年星霜を経過し、御神像は現在梅沢山等覚院に安置されている。吾妻神社は「縁結びの神」として知られ、例祭日は[ 例大祭:1月 第3日曜日 / 例祭:8月15日 ]。

#shaden吾妻神社 社殿について
 現在の社殿建立  上棟=昭和17年10月17日 完成=昭和18年11月7日
 設計  昭和5年4月
 設計者 工学博士 伊東忠太(山形県米沢市出身・東京帝国大学名誉教授) 1867年〜1954年(昭和29年)

 吾妻神社 社殿の設計図(昭和5年当時)
 伊東忠太の設計した有名な建物:平安神宮(京都)・明治神宮(東京)・築地本願寺(東京)
[ その他の代表的建物 ]
 弥彦神社(新潟)・上杉神社(山形)・最乗寺(足柄)・湯島聖堂(東京)・俳聖殿(三重)・總持寺大僧堂(神奈川)・
 靖国神社遊就館・靖国神社神門(東京)・祇園閣(京都)・豊国神社(京都)・宮崎神宮(宮崎)・東京大学正門

#shaden吾妻神社の由来
 吾妻神社は、二宮町吾妻山の山頂(標高 136m)にある神社で、創建は第十二代 景行天皇の時代と伝えられております。皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が三浦半島の走水から上総の国に船で渡る時、突然荒波に遭い、妃である弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)が身代わりとなって海に身を投げられ、波浪を静めたと伝えられております。後に今の梅沢の海岸に妃の櫛が流れ着き、その櫛を埋めて御陵を造ったところから、この地域を埋澤と呼び、現在は梅沢町内の氏神様となっております。また、命の小袖が浜辺に漂着し、これを山頂に祭ったと伝えられており、この辺の海浜を、袖ヶ浦海岸と呼ばれています。吾妻神社の主神は弟橘媛命で、「縁結びの神様」として有名です。
 お祭りは年2回(1月・8月)行われ参拝者で賑わいます。1月のこの日には、二宮町外からも親類縁者がお年賀に来て新年会等の日にもなっており、国道1号線の吾妻神社大門から、国道にかけて開かれる市(縁日)や、よさこいパレードには、多数の人が訪れて、賑わいを見せます。ぜひ緑豊かな二宮、由緒ある吾妻神社へご参拝下さいます様、ご案内申し上げます。祭禮日は、1月第3日曜日、及び8月15日の2回です。 相州 梅澤 吾妻神社 宮役員一同

#2-1吾妻山公園の由来
 相模路(さがむじ)の淘陵(よろぎ)の濱(はま)の眞砂(まなご)なす
  児(こ)らは愛(かな)しく思(おも)はるるかも  (萬葉集 巻十四 東歌)
 万葉の昔から、淘綾の里 二宮の美しい海浜とそれを眼下に一望できる吾妻山は人々のふるさとでありました。しかし、第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で山は顧みられることもなく、次第に荒廃が進んでいきました。町はこれを深く憂え、子孫に誇れる山として残したいと思い、地権者六十五名の協力と五年の歳月をかけて整備し、昭和62年7月18日に吾妻山公園として開園しました。現在では、健康づくりと自然とふれあうやすらぎの場として人々に喜ばれています。この公園は、名誉町民 第十七代 柳川賢二町長の尽力により完成しました。

#watching吾妻山 菜の花ウォッチング 〕 早咲きの菜の花・相模湾・富士山を楽しもう 2019.1.12(土)〜 2.17(日)
[ スタンプラリー ] 町内の見どころスポット6カ所を巡って記念スタンプを集め、駅前観光案内所(10時〜15時30分)へお持ちください。スタンプの数に応じて(2個以上)、記念品をお贈りします。スタンプの場所は、8ページのイベントマップの(スタンプ)が目印です。

#mapイベントマップ 〕(「吾妻山 菜の花ウォッチング」裏面 )
 二宮町観光協会 ・ [ PDF:321KB ]

#3-1浅間神社
 祭神は木花咲耶媛(このはなさくやひめ)、二宮町上町地区の祭神で、土地の人には浅間さんとして親しまれ、本社は富士浅間神社です。木花咲耶媛はその名のとおり、咲く花の匂うような美女で、良縁を得られたので縁結びの神様として信仰されています。今からおよそ八百年の昔、源頼朝が富士の巻狩り催した時、曾我兄弟は父の仇、工藤祐経を討ち取りました。この時姉の二宮の花月尼はその成功を富士浅間神社に祈りました。後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて、自分の住まいの前のこの山上に、浅間神社を祀ったと言われています。この度社殿老朽にともない新築、内宮は大修理を施し装いも新たになりました。尚、修復した内宮(一部の彫り物も含む)は千七百年後期寛政の頃の作といわれています。
 付記:修復されし内宮の各部 1、 柱 /2、象鼻 /3、側面蛙股 /4、左海老虹梁  以上