スペイン便り   

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ブログ《マドリーの恋人》
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2009/08/25
  マドリードの初雪と銀行強盗
  この週末(1月9日)にマドリードは初雪に見舞われました。写真は朝から降り始めた雪が小休止した昼ころの庭の雪景色。午後も降り続き、メトロ以外の都市機能はストップして空港も閉鎖。夕方に雪は小降りになったが翌日の昼まで氷点下が続いたので、道はコチンコチン。マドリードは車で1時間足らずの北にスキー場があるので、除雪車や塩まき車は十分揃っており仕事も早い、だから幹線道路の再開は問題がなかった。困るのは家の前の歩道や通り、田舎道だった。去年は100年ぶりの「寒い秋」で冬になった年末はホワイトクリスマスと思っていた。だがパラパラとちらついただけで、今年になってどかっと降ってしまった。冬は厳しい寒さ、夏は灼熱、マドリードは決して住み良い土地じゃないよ。
  話は変わるが、年末に銀行強盗にあいました。いつもの銀行に入金に行った時の事件です。こっちの銀行は入り口のセキュリティボックスを通過しないとドアが開かない方式と入り口のブザーを押すと行員が客を「がん(顔)べつ」してドアを開ける方式があります。僕の行ってる銀行は後者です。ブザーを何回押しても誰も開けに来ないので、トイレでも行ってるのか、と暫く待ちました。再び押しても反応がないので、まぁ、来年にでも出直すか、と帰りかけたら他の客も来た。閉まってるの? と聞くので、いや、呼んでるけど誰も来ない、と話してるといつもの行員が現れて、ドアを開けてくれました。入ると小柄のひげ面のスペイン人が小型機関銃を袋から出して、地下へ行け、というではありませんか! 行員を先頭に僕と客は強盗に後から機関銃を突きつけられて階段を下りました。地下には支店長と他の客一人が金庫の前にいました。さるぐつわをかまされている訳でもなく、手も縛られてなかった。強盗は素顔丸出しで落ち着いた態度なのでベテランでしょう。訛りのないスペイン語を喋るので、マドリード周辺が縄張りです。歳は40〜50歳で、刈り込んだ髪とひげは白髪混じりでした。小型機関銃は本物かニセモノかは分かりませんが、我々は男5人で強盗は一人です。オレの財布に手をかけたら全員で襲い掛かろう、と身構えてました。でも、丁度金庫が開きました。図体はデカイが中身は空っぽで、札束はふたつしかありません。その束と小銭の筒をビニール袋に入れて逃げ去りました。ものの5分くらいでした。通報したのに警察がなかなか現れないので、入金を済ませて待ってました。それでも来ないので、行員に家に居るから、と僕は帰りました。
  家で強盗の似顔絵を描きましたが、警察からの連絡は無しでした。被害は300万円くらいと、翌日の新聞で知りました。しけた銀行です。のろまな警察です。誰でも小遣い稼ぎに銀行強盗になれそうですね、スペインでは。
#6-1

写真のキャプション : 【 マドリードのイルミネーション 】
  ナヴィダァ・NAVIDAD  2008.12.31
  諸君! 宝くじは外れたぁー! まぁ、当たり前といえば当たり前。スペイン人の友達からも食事を奢る誘いがないので、全員ダメだった。スペインは、イタリアも同じかも知れないが、クリスマスが長い。12月24日のイブと25日のクリスマスは家族で祝う。七面鳥やチキンの丸焼きが定番メニューで、ツロンと呼ばれるクリスマススィートも食べる。都会からそれぞれの田舎へ戻る人が多いので25日は祝日休み。26日〜31日の間に会社は仕事仲間とクリスマスを祝う会食をレストランでやる。31日も仕事だが、半ドンや休みが多い。大晦日は友達との馬鹿騒ぎが目的なので大いに飲む。食べるのは仔豚や子羊の丸焼きで、エビや生ハムを摘みながらシャンパンを浴びるように飲み続ける。夜中の12時にブドウを12粒食べてからディスコや友達の家で明け方まで騒ぐ。この夜だけは爆竹も大合唱も許されるので寝ないで踊る。明け方にチューロスという揚げものをミルクチョコレートに浸して食べ、家に戻る。だから元旦は夕方まで寝てるスペイン人が一番多い。
  1月2日からは仕事だけど二日酔いの連中ばかりだ。1月6日はロス・レジェスと呼ばれる子供の日で祝日。イエスの誕生を祝って東方三賢帝が贈り物を持って現れた話です。前日の5日の夜には三賢帝が山車に乗って街の中を回る。プレゼントに釣られて早く寝たよい子には翌朝に願った贈り物が待ってるのです。悪い子のプレゼントは木炭です。この日は子供が主役なのでロスコンと呼ばれる馬蹄を10倍のサイズにしたケーキを食べます。中に人形が埋められてあり、それに当たった人が翌年のロスコンを買うのです。この夜を持って24日から始まったナヴィダァと呼ばれるクリスマスは終るが、大体、一人当たり10キロはでぶる。ホント、体力が要るよ。
#5-1 #5-2

2009/08/25
  ロテリア(宝くじ)  2008.11.21
  今年も買いました! ロテリア・デ・ナヴィダァと呼ばれるクリスマスの特別宝くじです。写真の一枚が10枚つづりなったのがウン・ビィジェテ(一札)で一等は約4億円です。僕のはその十分の一なので4千万円が当たるのです。同番号の札は195札刷るので一等は195本でる勘定だから780億円!二等(260億)、三等(130億)からもろもろの当たりまで195本ごと出るのが凄い。しかし何故か今年も、昨年いや一昨年同様、末尾が6を買ってしまった。一番当たる確率の低い数字で、7から始まるのも昨年と同じ。宝くじ屋で窓口に並んでいるのを適当に指差したら、この数字だったのだ。トホホホ〜。今年も当たらないと思うけど、もし一等が当たったら来年のクラス会の費用はオレが持つ! なので祈って下さい、夢見て下さい。抽選日は12月22日です。スペイン人なら誰でも買い、会社ぐるみ、家族ぐるみで買うので、一人当たり1万円や2万円は使う。一口千円くらいの孫券を商店やバルやキオスクで売るので、20枚30枚も買い込むスペイン人はざらなのです。年に一回の国を挙げての博打なのです。胴元(国)が儲けるのは分かっているが、いいのです。コレを買わないことには、スペイン人としてすたれるし、第一、クリスマスが来ないのだ。ちなみに00000番は国王が買うのです。抽選日は朝から仕事そっちのけでテレビに釘付けです。ヤマダ
#4-1

2009/08/25
  思い出のページ  2008.11.21
  チョク、ホームページの管理をご苦労さん。「思い出のページ」はいいアイデアだと思う。だけど、オレは修学旅行も翠平戦も何も覚えてないのだ。大体教室自体が木造校舎だったくらいは覚えている。よく覚えているのは食堂「きくや」だけだ。日本、それも横浜に住んでる皆には当時を思い出す環境がある。外国に住んでると、そのとっかかりがないのでまったく思い出の糸がたぐれない。誰かが、当時の写真を出して思い出をつづり始めてくれないとだめだね。しいて言えば、オレの思い出は「お早うボーリング」をしてから登校した思い出だな。たしか西口駅の東京方面にあった東急ビル(東横ビル?)のボーリング場だった。早朝割引と学割を使うと安くゲームができた。あとは下校の時に西口駅のガード下にあった「一品こう」でラーメン食べてから湘南電車で帰ったことだな。その店で逸見先生だったか、だれか先生と会ったこともあるし、横浜駅の湘南電車のホームでは二見先生と会ったこともある。オレの場合は翠嵐そのものの思い出よりも、学校外のが多いなぁ。夏休みは横浜じゃなくて、地元の辻堂で泳いでばかりだったし・・・。あまり、共通の思い出がなくてスマン・・。
  こっちは11月に入り、冬時間に変わったこともあるが日暮れが1時間早くなった。マドリードはあっちこっちの街路樹がプラタナスなので、それの落ち葉が積もる。それを掃除の人が掃くのだが、この時期は積もる量がハンパじゃない。だから増員してトラックで集めてるが、一晩たつとまた落ち葉の山だ。来月はクリスマスだが、今年は不景気だから皆家だろうなぁ・・・。あ!そうだ!クリスマスの宝くじを買ったので、それのことを別メールで送るので、ホームページに載せてくれ。いつもスマンなぁ、手間かけて・・。トミオ

2009/08/25
  初キノコ  2008.10.17
  この秋の初キノコを採ってきました!マドリード郊外の野原には立ち枯れになった野生のアザミがいっぱいです。その根に生えるのでアザミ=カルディージョのキノコと呼ばれます。写真のような手の平サイズのが採れたので、早速鍋にしました。水炊きはやったばかりなので、味噌味の石狩鍋が浮かんだが、鮭と酒粕を切らしてた。フリーザーにへダイがあったので解凍して3枚におろし、酒とみりんを酒粕代わりにして味噌で味付け。豆腐とネギにキノコをちぎって加えて食べた。旨かったぁ〜。このカルディージョのキノコはシメジの味に似ているので、炊き込みご飯、天ぷらでも美味しい。工夫すれば外国にいても"創作和食"が食べれるのだ。スペイン人は生ハムと一緒に炒めて食べるが、皿に残ったキノコ汁をパンに浸して食べるほどだ。
#2-1

2009/08/25
  ヴァレンシアの火祭り  2008年3月
  久しぶりにヴァレンシアの火祭りへ行ってきました。初めて行ったのはまだフランコ政権の70年代で、そのあと80年代に数回で、今回は15年ぶりだった。この「ファジャス」と呼ばれる火祭りは爆竹と花火、張りぼての巨大人形とヴァレンシア美女で世界に知られているクレージーな祭りです。3週間続くけど、最後の1週間は毎日明け方から夜中まで、歩道は爆竹の炸裂、空は打ち上げられた花火が覆うという、すさまじく「うるさい」祭りなのです。三階建てマンションくらいの高さの張りぼて人形は社会風刺された人形群で、それを祭り最後の夜中に燃やすのです。市役所前の広場の人形は花火と一緒に燃やすので、圧巻! オレは花火の粉や火の粉を浴びて服は火薬臭くなった。ヴァレンシア州の各村が民族衣装をまとった「おらが村娘」に聖母に捧げるカーネーションを持たして行進させるのです。刺繍が立派な民族衣装です。そうして巨大な聖母像が日増しに花のケープで覆われていくのです。
◆「ヴァレンシアの火祭り」スライドショーへリンクします。
#1-1

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