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[二見先生] ホームページ作成ご苦労様。大変面白い企画です。相互のこれからのcommunicationにおおいに役立つと思います。皆さんの人生第2ステージの出発に際して今までの貴重な経験をもとに意見交換の場として活用できるでしょう。 〔 昭和音楽大学ホームページ「学長メッセージ」に掲載されていた写真は更新されましたが、ここでは更新前の写真を掲載。2016.4.1 〕 |
[二見先生] 『神奈川の高校教育の変容』を読んでくださる方にはお送りします。名前、〒 住所、電話を記入するか、直接メール等でご連絡ください。 |
二見先生が『神奈川の高校教育の変容』(神奈川新聞社刊)という御本を自費出版されました。この本は『かながわ学びの軌跡〜戦後教育50年史』として神奈川新聞の教育紙面で先生が共同執筆されていた経緯から、 (1) 神奈川の戦後教育改革 (2) 神奈川における高校紛争 (3) 高校百校計画と特色ある高校づくり というテーマごとに、資料や関係者へのインタビューを基にしてまとめられたものです。 2007年(平成19年)12月23日付けの同紙「書評」と「目次」を参照して下さい。 「書評」へリンクします。 「目次」へリンクします。 |
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【 ご葬儀・思い出・絵葉書・寒中お見舞いの葉書 】 ※ 画像クリック拡大表示 [ 2017.6.2(金)掲載 ] 29日、午前9時頃、奥様から電話で先生が亡くなられたという連絡を受けました。「お手伝いをお願いしたい」とのことで、午後1時に二宮へ伺うことにしました。清水潔氏に電話で、ヤマダトミオ氏にメールで連絡しました。メールボックスを開いたところ、奥様からメールが届いていました。二宮では、奥様からホスピス での先生の写真(左)を頂戴し、息子さんのお嫁さんがスマホの画像(中央左)を見せてくれました。いただいたセレモニーホール二宮斎場発行の「訃報」(中央)はクラスメートへの連絡用に保管し、二宮斎場の担当者の方との打ち合わせに同席させてもらうことにしました。哲(さとる)さんに頼んでスマホの画像を添付ファイルにした「空メール」を送信してもらい、お庭を拝見しました。しばらくして清水潔氏から供花(中央右)が届き、哲さんが先生の枕元に置いてくれました。 翌日、神奈川新聞に掲載された先生の記事を切り抜いてスキャナー画像(右)にしました。 〔 お通夜・告別式 〕 お通夜の日、早めにお宅を訪ねたら先生のお姉さんが木彫の「仏像」を持ってきて下さり、近くで拝見しました。昔「タケノコの集い」で、先生がみんなに熱心に話して下さった木彫の仏像です。螺髪(らほつ)の精巧な彫りに驚きました。ご家族の方たちと一緒に「お清め」を手伝いました。旅立ちの支度をする「納棺の儀」にも立ち会わせてもらいました。男性だけで棺をささえながら庭を散歩するように車にお運びし、車に乗っていただきました。二宮斎場ではお通夜・告別式の両日とも昭和音大の職員の方たちの横で、後藤氏・諸岡氏と一緒に「学校関係」受付のお手伝いをさせてもらいました。翠嵐時代の同僚の先生方〔 松村先生(旧姓:増子先生)・国武(くにたけ)先生・山田先生(棒高飛び)・横沢先生(国語)・小島先生(Keep-Standing)・片山先生(生物)〕が駆けつけて下さいました。多くのクラスメートたちも弔問に来てくれました。懐かしい顔ぶれにも会うことができ、二宮斎場で「小さな」クラス会を開いているみたいでした。「クラス会になっていいんだから」と先生に言われているような気がしました。 小田原の見晴らしのいい小高い丘の上にある火葬場で、お手伝いの3人も「納骨」しました。マイクロバスで斎場へ戻り、「慰労会」では片山先生ご自身の翠嵐での思い出話を伺いました。火葬場はご家族・ご親戚の方たちだけのほうがいいのでは、と前日の帰りの電車の中での3人の合意のもと、マイクロバス乗車を辞退したのですが最後までおつきあいさせていただき、奥様、お嬢さん(真理さん)、息子さんご夫婦の厚い配慮には感謝の言葉もありません。本当にありがとうございました。
【 思い出 】 ご葬儀のあいだ、これまでの「クラス会」や「タケノコの集い」などを思い出していました。竹林の様子や先生・奥様、「竹林の賢人たち」のクラスメート面々の様子が浮かんできました。自宅にもどり、保存してあった写真やホームページに掲載した写真を時系列にそって拾い集め、再編集してスライドショー作成作業にとりかかりました。縮小前の写真が保存されていたものは少し大きめサイズに縮小しましたが、縮小サイズしか保存しなかった(保存しわすれた)場合も多く今更ながら反省の念に駆られております。 [ ※ 左のサムネイル画像をクリックしてスライドショーで見て下さい。オート設定です。表示時間:5000ms。画像枚数:14 〕 [ ※ 左の写真は 1999年9月11日 横浜駅西口「太利夢」にて。二見先生・岡見先生を囲んで。] 〔 文面 〕 拝復 この夏は韓国へ出張したり、洋上研修で(北海道)多忙をきわめました。翠嵐のなつかしい人達の名前。うれしく思います。山田富夫の個展も見ました。一枚小品を求めました。来年は是非スペインに行こうと思っています。(4月中旬〜下旬) そのあとで同窓会をやって下さい。楽しみにしています。あと6か月は思う存分に働きたいと思っています。ますますのご活躍を期待しています。敬具 |
〔 戦後新教育・実践資料集4巻 / 未来航路U・昭和音楽大学 〕 2013.10.1 記事の段組ごとのスライドショーで読んで下さい(手動切り替え操作をお願いします)。 スライドショーへリンクします |
〔 『 神奈川県 教育史 ( 戦後編 ) 』 編纂の企画委員長に就任 〕 二見先生が『県教育史』・戦後編を編纂する企画委員長に就任されたという記事が神奈川新聞に掲載されました。大見出しは「32年ぶり編纂に着手」となっています。中見出しは「『県教育史』激動の戦後編」、小見出しは「県教委 12年で6巻」となっています。 4段組みの記事を、各段ごとのファイルにしました。下記リンクをクリックすると、スライドショーが起動します。いったん「停止」ボタンをクリックし、スライドを止めて手動操作で読んでください。 《 2012.1.12 付「 神奈川新聞 」 より 》 2012.1.12 |
【 未来航路 2011.12.5 】 〔 神奈川新聞に掲載された先生の記事 ( ) 〕 2011.12.5 付けの神奈川新聞(9面 教育−『未来航路』)に二見先生の記事が載りました。見出しは「昭和音楽大学・二見 修次学長 〜 音楽で“生きる力”を 〜」となっています。左の新聞記事の画像をクリックして拡大画面でご覧ください。PDFファイルが開きます。 12月5日 の12:00頃 大久保正美氏より、PDF画像と先生の記事掲載のお知らせ速報メールが届きました。連絡ありがとうございます。 2011.12.5 |